ツイッターで140文字からこぼれた妄言を垂れ流します。@rapple001
[PR]
2025.04.29 Tuesday
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
日本における性表現規制の歴史
2013.05.20 Monday
少し前ニコニコ動画にこんな動画をあげました。これに関連して、ツイッターやコメントで性表現規制のあり方についていくつかご感想やご意見をたまわりました。皆様がわりと関心を持たれている分野であるようなので、僕なりに日本における性表現規制の歴史を紐解いて見ようかと思います。
まず、そもそも日本における性表現規制というのは、いつから始まったのでしょうか?
少なくとも江戸時代ではなさそうです。春画全盛の時代ですし、刺青文化が花開いた時代でもあります。(刺青は上半身ハダカで過ごすことを前提としたオシャレ)
逆に、明治時代に外を裸で出歩くのを禁じられるようになった際には、一揆において「裸宥免之事(外で裸でいさせろ)」と主張されたりもしていたようです。
つまり、日本の文化における性表現や裸の規制はどちらかと言えば舶来品、あるいは外来種という事になります。
もちろん、「未開の原住民のような我々に西洋の先進的且つ素晴らしい文化を伝えていただいた」なんて見方をすることも出来るかもしれませんが、そういう文化の相対性を無視する主張こそ「野蛮で頭の悪い」考え方では無いでしょうか。
しかし、現実の世界を見渡してみると、どうもそれだけでは説明がつきません。
日本は、ご存知の通りかなりゆるゆるでグレーゾーンだらけとはいえ未だにわいせつな物の規制は残っています。反対に、欧米では平気で無修正のポルノが買えますし、その一部はネットを通じて日本からも見ることができます。
対して、子供を扱ったポルノグラフィー(いわゆる児童ポルノ)の規制に関しては、日本はかなり遅れている、なんて言われます。どこの馬の骨ともしれない「自称海外通」の方々が躍起になって表現規制をかけようとしているのはこの辺の分野です。
性表現の規制は欧米から持ち込まれたはずなのに、随分事情が変わっているようです。これを理解するには、あっちの歴史に目を向けなければなりません。
そもそも欧米の人々が性表現に厳しかったのは、キリスト教の影響が強いからだと言われています。キリスト教のことは詳しくないのですが、要するに性というものを神格化しすぎて逆に厳しくそのあり方を律する宗教がキリスト教ということのようです。
そ して、そのキリスト教の秩序は長らく続きます。その間にペリーが来航したり、第一次世界大戦が起きたり終わったり、太平洋戦争が起きたり終わったりしまし た。歴史的には重要な出来事ですが、今回の話には全く関係無いので飛ばします。逆に言うと、それだけ長い間維持されてきた道徳なのです。
しかし、 ベトナム戦争が始まり、アメリカで反戦の大きな波がおこります。ベトナム戦争の是非は国論を二分する大騒ぎとなり、それと同時に現体制に疑問を持つ若者が 次第に増えていきました。それとほぼ時を同じくして、イギリスである大きな論争が巻き起こります。一般に「ハート=デブリン論争」と呼ばれるものです。法 哲学者であったH.L.A.ハートは、ミルの『自由論』における他者加害原理を引き合いに「被害者なき犯罪は罰せられるべきではない」と主張しました。そ れに対し、貴族院の裁判官であったデブリン卿は「道徳的に誤ったことは罰するべきだ」「道徳を失った社会は堕落する」とこれに真っ向から対立します。結局 この論争にはハートが勝利し、その時の社会情勢も相まって欧米各国で次々に性表現や賭博などが緩和、あるいは解禁されていきます。
というわけで、世間は性表現解禁の方向へ向かってるのに、日本だけが取り残されたのでした、チャンチャン。…で終われば話は簡単です。しかし、まだ解けていない謎が残っています。なぜ欧米に比べ日本の児童ポルノへの規制は甘いと「言われる」のでしょうか?
実 は欧米でも児童ポルノについてうるさく言われるようになったのはつい最近です。1996年にデュトルー(Dutroux)事件という非常に残酷な少女拉致 監禁・殺人事件がベルギーで発覚しました。その裏には巨大な人身売買組織の存在が疑われ、また実際欧米では海外から子供をさらってきて売り飛ばすという国 際的な人身売買組織が存在していました。そのような背景から、児童ポルノを厳しく罰することでその裏で手を引く組織の尻尾を掴むために世界中で児童ポルノ が規制が厳しくなりました。
それに合わせて、先進国である日本にも協力の要請(というより圧力)が来るわけです。しかし、なぜだか日本ではそれが性表現の問題と曲解され、今に至ります。
と、 ここまでが歴史的に見た日本の性規制のあり方です。歴史の関わる問題ですから、事実に基づいて様々な解釈が為されうるし、また細かい事実まではわからない ことも多いので、これはあくまで僕の見方です。当然別の見解もあるでしょうし、そもそも僕が事実を誤認している点もあるかもしれません(歴史の専門家ではな いので)。さらに言えば、チャタレー事件から続くいくつかのわいせつ物判例についても「疲れたから」という理由で一切触れていないかなり乱暴なまとめでもあります。
…微妙に怒る人がみたら怒られそうな話題なので、これくらいは予防線張らせといてください。
また、歴史的にこうだからといってこれからどうするべきという事にはなりません。江戸時代はフリーだったから今もフリーであるべきとかあんまり意味のない主張ですよね。結局のところ「今どうするか」でしか無いのですが、考える材料として、歴史を知るのもいいことかもしれません。
少なくとも江戸時代ではなさそうです。春画全盛の時代ですし、刺青文化が花開いた時代でもあります。(刺青は上半身ハダカで過ごすことを前提としたオシャレ)
逆に、明治時代に外を裸で出歩くのを禁じられるようになった際には、一揆において「裸宥免之事(外で裸でいさせろ)」と主張されたりもしていたようです。
つまり、日本の文化における性表現や裸の規制はどちらかと言えば舶来品、あるいは外来種という事になります。
もちろん、「未開の原住民のような我々に西洋の先進的且つ素晴らしい文化を伝えていただいた」なんて見方をすることも出来るかもしれませんが、そういう文化の相対性を無視する主張こそ「野蛮で頭の悪い」考え方では無いでしょうか。
しかし、現実の世界を見渡してみると、どうもそれだけでは説明がつきません。
日本は、ご存知の通りかなりゆるゆるでグレーゾーンだらけとはいえ未だにわいせつな物の規制は残っています。反対に、欧米では平気で無修正のポルノが買えますし、その一部はネットを通じて日本からも見ることができます。
対して、子供を扱ったポルノグラフィー(いわゆる児童ポルノ)の規制に関しては、日本はかなり遅れている、なんて言われます。どこの馬の骨ともしれない「自称海外通」の方々が躍起になって表現規制をかけようとしているのはこの辺の分野です。
性表現の規制は欧米から持ち込まれたはずなのに、随分事情が変わっているようです。これを理解するには、あっちの歴史に目を向けなければなりません。
そもそも欧米の人々が性表現に厳しかったのは、キリスト教の影響が強いからだと言われています。キリスト教のことは詳しくないのですが、要するに性というものを神格化しすぎて逆に厳しくそのあり方を律する宗教がキリスト教ということのようです。
そ して、そのキリスト教の秩序は長らく続きます。その間にペリーが来航したり、第一次世界大戦が起きたり終わったり、太平洋戦争が起きたり終わったりしまし た。歴史的には重要な出来事ですが、今回の話には全く関係無いので飛ばします。逆に言うと、それだけ長い間維持されてきた道徳なのです。
しかし、 ベトナム戦争が始まり、アメリカで反戦の大きな波がおこります。ベトナム戦争の是非は国論を二分する大騒ぎとなり、それと同時に現体制に疑問を持つ若者が 次第に増えていきました。それとほぼ時を同じくして、イギリスである大きな論争が巻き起こります。一般に「ハート=デブリン論争」と呼ばれるものです。法 哲学者であったH.L.A.ハートは、ミルの『自由論』における他者加害原理を引き合いに「被害者なき犯罪は罰せられるべきではない」と主張しました。そ れに対し、貴族院の裁判官であったデブリン卿は「道徳的に誤ったことは罰するべきだ」「道徳を失った社会は堕落する」とこれに真っ向から対立します。結局 この論争にはハートが勝利し、その時の社会情勢も相まって欧米各国で次々に性表現や賭博などが緩和、あるいは解禁されていきます。
というわけで、世間は性表現解禁の方向へ向かってるのに、日本だけが取り残されたのでした、チャンチャン。…で終われば話は簡単です。しかし、まだ解けていない謎が残っています。なぜ欧米に比べ日本の児童ポルノへの規制は甘いと「言われる」のでしょうか?
実 は欧米でも児童ポルノについてうるさく言われるようになったのはつい最近です。1996年にデュトルー(Dutroux)事件という非常に残酷な少女拉致 監禁・殺人事件がベルギーで発覚しました。その裏には巨大な人身売買組織の存在が疑われ、また実際欧米では海外から子供をさらってきて売り飛ばすという国 際的な人身売買組織が存在していました。そのような背景から、児童ポルノを厳しく罰することでその裏で手を引く組織の尻尾を掴むために世界中で児童ポルノ が規制が厳しくなりました。
それに合わせて、先進国である日本にも協力の要請(というより圧力)が来るわけです。しかし、なぜだか日本ではそれが性表現の問題と曲解され、今に至ります。
と、 ここまでが歴史的に見た日本の性規制のあり方です。歴史の関わる問題ですから、事実に基づいて様々な解釈が為されうるし、また細かい事実まではわからない ことも多いので、これはあくまで僕の見方です。当然別の見解もあるでしょうし、そもそも僕が事実を誤認している点もあるかもしれません(歴史の専門家ではな いので)。さらに言えば、チャタレー事件から続くいくつかのわいせつ物判例についても「疲れたから」という理由で一切触れていないかなり乱暴なまとめでもあります。
…微妙に怒る人がみたら怒られそうな話題なので、これくらいは予防線張らせといてください。
また、歴史的にこうだからといってこれからどうするべきという事にはなりません。江戸時代はフリーだったから今もフリーであるべきとかあんまり意味のない主張ですよね。結局のところ「今どうするか」でしか無いのですが、考える材料として、歴史を知るのもいいことかもしれません。
PR
COMMENT