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ツイッターで140文字からこぼれた妄言を垂れ流します。@rapple001
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「対案をだせ」の取扱説明書のおはなし
ネットで政治の話をする時に、とても便利に使われる「対案をだせ」というフレーズがあります。しかし、このフレーズの使い方、本当にあってる?と思うような場面にも度々出会います。
バカの一つ覚えのように「対案を出せ」しか言わないポンコツにならないためにも、今回は「対案をだせ」の正しい使い方について考えてみます。


対案を出すべき立場とは

「対案を出せ」という反論が適切であるためには、相手が「対案を出すべき立場」にある事が必要となります。
どのような場合に自分の主張とともに対案が必要となるか、考えてみましょう。

1.現に運用されている制度や仕組みを廃止、停止しろという主張をしている場合

すでに有効に運用され、実際に何らかのメリットを生み出しているものを止めるよう要求する場合、そのメリットを代替する何らかの対案を出す必要があります。
例1:「既に動いている原発を止めるならば対案(別の電力源)を出せ」
例2:「基地を移転するならば対案(別の基地の候補地)を出せ」

これは実のところ対案というよりは、現状変更の主張をする時に要求される証明負担と言うべきものです。これについては後述します。

ただし、例外として、運用上のデメリットが甚大であり、メリットを手放しに捨ててでもデメリットをなくすべきであるという主張をする場合には対案は必要無くなります。
ダメな例:「奴隷制をやめるならば対案を出せ」

2. 現状に問題があるという事の認識を共有しており、その解決方法に反対する場合

現状、何らかの問題が存在し、またその解決をするべきであるという認識で一致しているにもかかわらず、提示された解決案に反対だけするというわけにはいきません。その場合、別の解決案、すなわち対案を出す必要があります。
例:「経済の復興策を出しました!反対するなら対案を出してください」
  「腹減ったな、メシ食おう」「そうだな、ラーメン食うか」「ラーメンは嫌だ」「じゃあなんだったらいい?反対するなら対案を出せ」

それゆえ、そもそも解決すべき問題があるという認識を共有していない場合①に「対案を出せ」ということはできません。また、提示された解決策が現状を良くしない、あるいはデメリットが大きすぎる場合②にも、対案なき反対が許されることがあります。
ダメな例①:「腹減ったな、メシ食おう」「俺はさっき食べてきたからいい」「反対するなら対案を出せ」
ダメな例②:「性犯罪は撲滅されねばなりません、なので女性全員に拳銃を配ることにしましょう」「反対!」「反対するなら対案を出せ」

なお、例②の場合、問題自体は共有しているので、今後どうしていくべきかについて反対側も考える事が「望ましい」とまではいうことが出来ますが、論外な選択肢を否定するために有効な対案が必須であるとまでは言えないでしょう。
以上のことから、「自ら現状変更の主張をするとき」あるいは「現状変更の必要に同意するが、提示された変更案に賛成できない」場合のみ対案を出す必要があり、そもそも「現状に変更はいらない」という場合に対案を出す必要はないと考えられます。

余談 努力教と現状変更への圧力

なぜ、現状変更をする時だけ対案が必要なのでしょうか。それは、多くの場合「現状維持」というのはかなり有力な選択肢だからです。ある仕組みの変更を伴う「ありうる選択肢」は無限に存在します。しかし、その無限に存在する「単なる変更」の選択肢のほとんどすべては現状を悪化させるもので、ごくごく一部の変更のみが現状をよくする「良い選択肢」になります。それゆえ、現状は変更する側は自分の主張が「無限に存在するいらんこと」ではなく「必要な・有効な変更」であることを説明する義務があります。対して、現状を維持する主張する側は「いらんことすんな」というだけで、原則として挙証は必要ないのです。
しかし、世間に蔓延する努力教は真逆のことを教えます。すなわち、「何もしないよりは何かをしたほうがいい」という謎の教義です。ハッキリと断言しますが、「いらんことするくらいなら何もしない方がいい」のです。現状なんとか噛み合っているシステムに無作為な変更を加えて、良い結果を生み出すことなどよほど幸運でなければありえません。良い変更で良い結果が生じるのはそれなりの理屈に基づいており、「頑張ったから神様が褒めてくれる」わけではありません。
何か現状をよくするために「頑張ってるように見える人」、「努力してるように見える人」もっと言えば、「なんかやってるように見える人」というだけで、それを褒め称えるのではなく、きちんと中身を見て判断したいものですね。


対案の免除について

さて、次は「対案を出すべき立場ではあるものの、それを免除される人的要件」について話をすすめましょう。
上述の現状変更の立場にありながらも、対案の提示が免除される立場が幾つか存在すると考えられます。

1,情報が非対称な場合

意思決定をするための情報に非対称があり、一方が情報を独占している場合、情報のない側は対案の提示を免除される場合があります。これは、適切な対案を出すための情報が不足しているからです。
例:技術者「新商品を開発しました!」営業「それではコストが高すぎる、別のものしてくれ」
この場合、営業側としては商品開発の細かい知識はないため、たとえ「新商品を出すべき」という認識で一致していたとしても、「対案となる商品を営業が出す」必要はありません。

2.自身が不利益当事者の場合

NIMBY施設の建設に関わるような場面でこれは起こります。NIMBYとは、”Not in my backyard”の略で、日本語で言う迷惑施設の類について言われる言葉です。「施設の必要性は認めるが、うちの近所には欲しくない」という場合には、不利益を被る個人に限り、対案なき反対が許されるべきでしょう。
例:「今度さ、みんなで飲み会やろうぜ」「いいねぇ」「じゃあお前んちな」「それは困るよ」
全体の利益のために不利益を被る人がごく一部の個人の場合、多数決では圧倒的に不利です。そこにさらに対案の負担まで課すのは不当であるといえるでしょう。
ただし、ここで重要なのはこの免除が許されるのは「不利益を被るその人」だけであり、その人に味方するからと言って他の人にはその効果は波及しません。自分が直に不利益を被る少数者でない場合は、やはり対案を出す負担を受けるべきだといえるでしょう。
ここまで「対案を出せ」という反論が適する状況について考えてきました。
このように考えると、実は「対案を出せ」と言える状況は意外に少ないことに気が付きます。
さらに注意深くみていくと、現状変更を試みる者が、現状維持を主張するものに対して「対案を出せ」と言うことで、まるで相手が「何も考えずに否定ばかりしている」ように見せていることが多く存在することもわかって来ます。
とは言え、実際に対案が必要な立場にありながら反対論ばかり唱える者がいることも事実です。そのような者を批判するためにはやはり「対案を出せ」という反論は重要です。だからこそ、これを中身の無いクリシェにしてしまわないためにも、「対案を出せ」は用法用量を守って使うようにしましょう。
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